2002−2003ジャパンパラリンピックスレッジホッケー競技大会
おっかけレポート

by あぢゃ(元 東京アイスバーンズ広報・企画担当)


決勝の朝も、ジャパラの伝説は続くのだった

決勝戦もやはりスケジュールの変更が必要になった。閉会式に出席するはずだった韓国チームは、飛行機の時間もあるので早々に宿舎を出発したという。降雪こそ落ち着いたものの、除雪がおいつかない八戸市内。ちょっとワタシは、朝から機嫌が悪かった。青森県最大の物流関連企業の系列ホテルをチョイスしていたので、タクシーの確保は余裕と思っていたのだが、フロントは「朝は無理です」と冷たい一言。どう考えても旅人には無理な環境だろうが・・・おかげでタクシーを捕まえるまで30分もウロウロする羽目に。

ようやっと止まってくれたドライバーさんへ行き先を伝えると「長靴ホッケーですか?」と聞かれる。実はこの日、東北新幹線延伸記念イベントの最後を飾る、「長靴ホッケー交流大会」も会場では併催されていたのだった。そうではないと伝えると「じゃあ、障害者の方のホッケーのほうですか?」と。

聞けばどちらの大会のこともテレビ、新聞で取り上げられているのでご存知だったとのこと。車中での話題は「天気さえこんなじゃなければお客さんもいっぱい来てくれるでしょうに、残念ですね」ということになる。さすが氷都である。こうした形で、少しでも話題になってくれたことは、青森県でのジャパラ開催の意義は大きかったと言えるだろう。

予想を越える仲間達のちから

正直なところ、今大会の東京アイスバーンズに優勝の2文字が踊る可能性は低いのではないかと考えていた。なぜならばスレッジウィーク終了後のメンバーの練習参加率はどんどん下がるばかり。それはプレイヤー各々が抱える様々な環境の変化や心情の問題、さらには競技以外の点でのアクシデントのため活動を休止せざるをえなくなったプレイヤーもいる。

しかし、好材料も少なくはなかった。2001-2002ジャパンパラリンピックを最後に活動を休止していたGKの牧選手がほぼ1年ぶりにチームに復帰。東京の砦の存在感は、やはりノーガードGKこと#87と比較するまでもなくない。それに、安中選手も久々の遠征参加。チーム練習に参加するために最も移動をしなければならない杉浦選手もがんばって練習に参加している。仕事で練習参加がままならなくなってきた三澤選手の目は、遠征出発から輝いていたし、高校時代を盛岡で過ごした高橋副将の友人、先輩が応援に来てくれているという。

どんな状況でもベストを尽くすというあたりまえのことを、プレイヤーは当然ながら果たしてくれている。今回はスタッフではないとはいえ、常にそばにいる自分のような者がこのような事をあれこれと考えるのは大きな間違いであったと落ち込むと同時に、その心配を裏切ってくれるみんなのちからが、本当に頼もしくあった。

ワンチャンスはワンチャンス

ベンチを見れば、両チームのプレイヤー数の差は歴然。長野の方が優勢に見える状況である。東京チームもこんな少ない人数で戦う大会は本当に久々であった。東京・戸高監督にとって選択肢の少ない、厳しいセット編成である。ところが試合が始まると長野も同様であった。東京大会2002で東京に敗れたこともあり、長野は必勝パターンで来た。つまるところ、長野・中北コーチはベテラン中心のセットを組み、キャリアの浅いプレイヤーの中では、本試合中一度も氷に乗らなかったプレイヤーもいたほどである。それだけ、長野も追い詰められていたということであろう。

セットを見比べれば、やはり長野パラリンピック代表経験者を多く抱える長野はプレイヤーひとりあたりの実力に勝る。逆に東京はといえば主将に昇格した遠藤選手、戦略の要である高橋副将が中心となってチームをまわしていく、チームリソースを最大限活用する戦術である。この辺は選手層の違いによるものとはいえ、両チームの色の違いを如実に表している。

試合における勢いは、東京が勝っていた。先制得点はやはり日本最速プレイヤーとして世界にマークされる存在となった遠藤選手。2001年以降の新しい日本の得点パターンである。対する長野はゴール前の巧みなプレイで巻き返す。東京が先制し、長野が追いつくというパターンは、かつての東京の戦いを追いつづけてきたワタシにとって本当に嬉しい変化であるといえる。

この日の観客は地元の皆さんのみならず、併催の長靴ホッケー出場者の皆さん。ほとんどの人にとってはじめての「障害者がしているホッケー」を生でみる機会だったと思う。さすが目の肥えた方が多く、それぞれにいろいろと戦況について語りながらの観戦である。極めてレベルが高い観客の声を横で聞く事ができたというのも、観客席に座ったワタシとしては大きな収穫だった。

拮抗した試合の流れを変えたのは長野を精神的に引っ張る石田選手の一撃だった。その一瞬、東京が空けたスペースを完全に生かす最高の攻撃、東京はその時何もできなかった。

時計は充分、攻撃の余地を残してくれていた。しかし、それから東京がもういちどアタックをかけるだけの余裕は、もうわずかしか残っていなかったのだろう。石田選手の一発が、試合の流れを変え、東京のシーズン完勝という野望を打ち砕いた。といっても、かつてのような防戦いっぽうの戦いではなかった。最後の最後まで、東京はチャンスを作る攻めを続けていた。諦めてはいなかった。観客席では、長野優勢の声が増えていたが、ワタシも最後まで諦めることはしない。だって、これまでで最高の戦い方だもの。

国内スレッジ史にのこるだろう、最高の試合

終わってみれば4-3と、その差1点差。東京大会では東京が守りきり、ジャパラでは長野が守りきった。シーズン成績は両者の間で五分となる。それにしても、この試合は日本のスレッジにとって大きい。終盤まで相互に攻めあい続け、観客席を引き寄せる素晴らしいゲームとなったからだ。

日本スレッジホッケーの統括団体であるJISFDの田名部会長は、自身もアイスホッケー日本代表の監督経験者であり、日本アイスホッケー連盟理事でもある。これまでも数回、会長の講話を聞いているが今回はいつもと調子が違う。これまでは、小学生くらいのプレイヤー達に対する「がんばんなさいよ」という感じの挨拶だったのであるが、今回は「ホッケーの試合に対する講評」であった。ホッケーのプロフェッショナルである田名部会長に、ようやっと日本のスレッジホッケーは「ホッケー競技のひとつ」としてようやく本気で認められたのではないかと思う。

その講話で田名部会長も指摘したのが「チャンスを生かせるかどうかが勝利の鍵となった」という点であった。その差が今回の東京と長野の差であり、勝敗の差であった、と。専門家も、素人のワタシも感じたその点に気がつかない当事者ではない。試合終了後の東京のミーティングは、いつもよりも随分と長かった。正式な随行員としてエントリーをしなかったワタシは、あえてその中へ入らずにロッカーから出てくるメンバーを待っていた。とりあえず、お疲れさまとだけ、言いたかった。

障スポの明日に向かって

2003年夏、国内5チーム目となる大阪・太輝バックスのホームリンクではじめての日本代表合宿が開催された。いよいよ世界選手権シーズンを迎え日本代表選手セレクションの開始である。昨シーズンは強化体制が刷新された最初のシーズンであったが、大きな国際試合への出場もなく、空白の1年となったJPN。思い返せば1998−1999シーズンもそうであった。そしてそのシーズンオフから、日本のプレイヤーはソルトレークシティを見据えることとなった。ただ、JPNの、国内プレイヤーのレベルはあのときと今とでは全く違う。あの頃はチームとしても、プレイヤー個人にも、スタッフやサポーターにもメダルはまだまだ遠いものだった。今は違う。今度こそ取り逃がしたメダルを我が手にする、そのための戦いがはじまるのだ。

この間、パラリンピックは大きな節目を迎えた。ソルトレークシティ大会から、他の国際競技会同様に地区ごとの出場枠が設定されることになり、手をあげればどこの国も出場できるというおおらかな時代は幕を閉じた。今大会に特別参加した韓国チームはいよいよ日本に近づき、あと数回の対戦で得点をあげ、さらに数回の対戦で肩を並べられてもおかしくはないレベルになった。

日本もメダルへの道は近づいたはずだ。しかし油断はできない時期になっている。だからこそ、今シーズンのJPNは今後の日本のスレッジホッケーにとっての試金石であり、そしてトリノまでの残る時期で結果を求められているのであろう。

さらに、国際オリンピック委員会(IOC)と国際パラリンピック委員会(IPC)の連携強化により、大会招致にはオリ・パラ同時開催が必須となっている今日。相変わらずオリンピック招致を希望する国は後をたたない。運良くホスト国となれれば、その誇りのため新規競技の強化・育成策を取っていくに違いない。

他方でIOCのロゲ・現会長は去る7月初頭のIOC総会において、大会の総合的な経費削減を各国に求めた。サマランチ時代の商業先導型の超豪華大会の時代は幕を閉じ、「小さな大会」へ急転換しつつある。すでに開催が決定している今後数年間の大会に関しても、最寄の大会となる2004年アテネ夏季大会はパラリンピックの同時開催を回避しようとしていたし、今後ますます、その傾向は強まると思われる。それだけにIOCとIPCは世界の各国を主導する役割をこれからきっちりと狙ってもらいたいところである。当然ながら、オリンピック、パラリンピック共に(観客動員力もあるが、競技人口や競技国数も考慮された上の)不人気競技については、どんどんスクラップされていくであろう(野球系競技ですらその対象になりうるのだから)。

昨今の競技国数が増加傾向にあるスレッジホッケーは当面問題は少ないと思うが、やはり母国での人気というのも強化には重要である。これはスレッジホッケーに限ったことではないだろう。だからこそ、今大会決勝で観客を魅了してくれたあの試合を、今後もどんどん続けていかなければならない。そして、スレッジのスター達はまた、パラリンピックのスターとして大会場でより一層輝いて欲しい。世界中のスポーツファンが魅了される、ファンタジックなプレイを。。。我がアイスバーンズ、そして中北JPNならば、それができるはずとワタシは確信して観客席を降りた。

(了)


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