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<ほーねっとのコラム− vol 11>

Vol.11:『体力、気力、努力』
〜駅伝って、箱根って・・・なに? Part 1〜

早いもので長野オリンピック・パラリンピックから満10周年。そして、『大将のホームページ』も10年目に突入となりましたね。

約1年ぶりのコラムとなってしまいました。2007年のスポーツ界もいろいろなことが通り過ぎました。書きたかったこともいっぱいあったのですが、書くタイミングを逸してしまったことも、まだまだ様子を見ていたいものもありました。

それにしても、今年の箱根駅伝は痛々しいアクシデントが例年にも増して多かったように思います。

新春を代表するコンテンツとして、本当に多くの方が沿道で応援されたり、TVで応援されていたことと思います。私も毎年、箱根駅伝と元旦のニューイヤー駅伝を楽しみにしている一人です。

このコラムのVol.1で箱根駅伝の形成について取り上げていますが、この大会を楽しみにしていると同時に、最近の私には引っかかっているものがありました。

『駅伝って、箱根って・・・なに?』

というものでした。 再び箱根駅伝について、考えたいと思います。

Wikipediaからの引用になりますが、過去の歴史の中で途中棄権は


1949年 神奈川師範学校:現在の横浜国立大学
1958年 横浜市立大学
1976年 青山学院大学
1995年 順天堂大学
1996年 神奈川大学、山梨学院大学
2001年 東海大学
2002年 法政大学
2008年 順天堂大学、大東文化大学、東海大学

という記録が残されています。。


1995年以降その数は急激に増え、特徴としては優勝候補や名門校、そしてスター選手の悲劇というものがあげられます。

細かく見てみると2区/9区、そして山越えの5区/6区というところでのアクシデントも多いですね。これは箱根駅伝という競走において、これらの区間が勝負どころであり、チーム内でもエース級、あるいは主将の選手が充てられているのですが、「よりによって」チーム・監督の信頼も厚いこれらの選手が「まさか」の事態に見舞われている、ということです。

2002年の法政・徳本選手(現日清食品)は2区でしたし、また棄権は免れたものの現城西大学コーチで早稲田の櫛部選手が91年に大ブレーキしたのも2区。あるいは1999年の山梨学院大・古田選手も2区で大ブレーキを経験しています。

今年は5区の順大、9区の大東文化大と、やはりエース区間でのアクシデント。東海大の10区はゴールテープを切る最終ランナーであると同時に箱根最長区間でもあります。

例年より関東地方は暖かい正月だったそうですが、それも駅伝ランナーには凶となったという側面もあるようです。しかし、優勝候補のエースという重圧がそれぞれの選手にかかっていたことは想像がつきます。

中継のエンディングで、解説陣のお一方が

「何が原因なのだろうか、よくわからないが(選手たちが)精神的に弱くなっているのでしょうか」

というニュアンスのコメントを発せられました。生中継の終盤でのことですので、解説陣にも詳細の情報が伝わる前のことでしょうから、このようなコメントも仕方ないのですが、「精神的」という部分に私はひっかかりをもちました。

ここ数回のTV中継では、主催者である関東学連や、その上部団体である日本陸連の幹部として、日本の陸上選手育成の中心にいらっしゃる方々が解説者としてコメントをされています。そのような立場にある方が、もしも旧時代的な「精神論」の意味の激だったとしたら、あまりに短絡的な感情論だな、と思いましたし、選手にそれだけの影響を及ぼす何かがあって、ということであればそれは大きな問題になりうる、と感じたのでした。

事実、大会会長である関東陸連の青葉会長(元大東文化大監督)が強烈な精神論的コメントを残しています。

『「情けない。すべての駅伝の教科書のようになっている大会。大学で指導、勉強してほしい。(指導者は)選手を見詰め鍛えてほしい。速い選手はいるが強い選手はいなくなった」と各校の指導法を批判した。』(時事通信社、2008年1月3日配信記事より引用)

ただし、このコメントは括弧書きされているように、選手ではなく指導者や大学、学連に対する怒りだったようです。朝日新聞での青葉会長のコメントでは

『「優勝争いが激しくなり、どの大学もぎりぎりまで選手を仕上げるなど勝利至上主義の影響が出てきていると思う。監督は選手の健康管理を徹底して欲しい」』(朝日新聞東京本社、2008年1月4日紙面より引用)

と記載されており、先の解説者さんも、この『勝利至上主義』が各校のエース達を追い込んでいるのでは、と感じられてのコメントだったのだろう、という風に理解をしました。

今日の駅伝競技は、緻密なシミュレーションにより計算された、文字通りの筋書きとなる作戦を、選手がいかに忠実にトレースできるかが鍵となっています。

監督の技量は、いかに「勝てる作戦」を立案し、そのタイムを具現化できる選手を育てるか、にかかっていると言えます。また、走り終わった選手達からも「想定タイム通りに走れてよかった」というコメントが多くなっているように思えます。

今や100円ショップで売られているデジタル腕時計でさえ、ストップウォッチ機能は実装されています。それくらい当たり前のものですから、ランナーがそれをつけて走ることも当たり前になりました。さらに、アスリート用の腕時計には心拍計なども実装されており、その時点の自分の状況を走りながら確認できるようになっています。

再び紙上に掲載された青葉会長のコメントの引用になりますが、

『「選手を守るために運営管理車に乗るはずの監督が、選手のお尻をたたいてオーバーペースを招いている」と苦言。』(東京中日スポーツ、2008年1月4日紙面より引用)

とあります。運営管理車は各チームに1台ずつ配備され、競技運営委員、審判員とともに監督やコーチが乗車しており、選手の状態をもっとも近くから確認し、棄権の届け出と選手の収容を速やかに行うためのものです。また、今大会の復路では規定の給水ポイント以外でも状況により監督・コーチが手渡しで給水することも認められていました。

同時に、沿道の観客へのインフォメーション、そして競走中の選手へのインフォメーションも運営管理車から行われるのですが、現実にはかつての「監督車」のように選手の背後から監督ががなり続けるシーンも数多くTVで映し出されていました。自身でも現状をリアルタイムで認識しつつ、絶えず監督から指示を受けつづける選手達。

これがプレッシャーと言わず、何と呼べばよいものでしょうか。

箱根駅伝という晴れの舞台に出場するという権利のため、選手は作戦の駒、いえパーツになりきることが求められているようにも思われました。

まるで・・・チャップリンの名作『モダンタイムス』を想像してしまったのは、思い込みが過ぎるでしょうか。

監督とその作戦に絶大な信頼を寄せる選手達、その総力が結集されたものが箱根の結果、というわけですし、憧れの対象としての箱根駅伝の姿は、昔も今も変わらない・・・と言いたいところですが、かつてと比べてドラマは少なくなったように思います。

そうした中で、予選会を突破できなかった大学のメンバーを集めた関東学連選抜チームが4位という好成績を収めました。

11大学から集まった16名で構成された選抜チーム、前回最下位からのミラクル。普段とは異なるチームメイトに監督。合同練習や合宿の機会も少なくメールなども使ってコミュニケーションをしていたチームだそうです。

もちろん、選抜チームの監督の作戦にマッチするだけの力をもった選手を集めることができたということが大きな理由でしょうが、いかにシミュレーション時代の駅伝とはいえ、短期間にこれだけの結果を残すことなど、本当に難しかったはずです。

もしかしたら彼らにはプレッシャーなどなく、本当に箱根駅伝を楽しめたことこそが、今回の結果につながったのかもしれません。

学連チームになくて、リタイヤした強豪校の選手が抱えたもの・・・

大学の宣伝塔として、勝つことを義務づけられたこと

に尽きるのではないでしょうか。

ある大学の後援会の方と話をすると、よくこういう話をされます。

『うちは、箱根に出続けることで精一杯だから、予選会で終わっちゃうんだよね。シードが取れればそれで充分。でも現実はシード落ちしてしまって、毎年予選会を通過できるかどうかの戦いをしている。だから、優勝争いとは関係ないけれど、本選に出たからには精一杯応援しちゃう。』

自分の大学の後輩達が箱根でがんばる姿を一瞬でもTVや沿道で見て、気持ちを熱くされているのはこの方だけではないと思います。箱根は学生駅伝界の頂点。だからこそ母校の姿も見たい。それが箱根駅伝というコンテンツが盛り上がる一つの理由なのかもしれません。

プルシアンブルー旋風を巻き起こした1980年代からの山梨学院大、今年大躍進した中央学院大や帝京大、平成国際大など、近年になって新しい顔ぶれが続々と出場するようになっています。現在19校、予選会9校(次大会は10校)という出場枠に対して年々予選会参加校は増加しており、伝統ある大学といえどシード権なくして出場しつづけることは非常に困難になっています。

それほどに箱根駅伝という競技会は陸上を志す大学生にとっての大きな目標であると同時に、大学側にとってもこれほどに自校を長時間にアピールできる場もないということも言えるからです。

コンテンツとしての長距離陸上競技は一人一人の選手を映像や音声で捉えます。特に駅伝は100kmを超えるコースのため、マラソンの倍以上の時間がかかります。

社会人陸上チームの多くが長距離競技、それもマラソンや駅伝を支援するのも、選手と同時に自社のアピールにつながるから。それと理由をまったく同じに、大学も駅伝の場で自校の学生が活躍する姿がTV等で流れることに、莫大なメリットを感じているのです。

そのための条件として、有力な選手を集め、指導者を招聘し、トレーニングの環境づくりに、莫大な費用をかけているのです。

そうした背景、そしてその中でエースと位置付けられることは名誉であるとともに、結果を求められるシビアな世界です。箱根という場で、どれほど活躍できたかは、学生にとってのその後の進路すら決める事になります。

それは選手ばかりでなく、指導者も同じこと。常に薄氷を踏む状況で判断を迫られる監督もまた、パーツなのかもしれません。

元を辿れば青葉会長も、駅伝対策委員長として箱根駅伝の運営を任されている大後委員長(神奈川大監督)も、トップチームを創り上げた名監督であり、彼らの実績が今日の大学駅伝ブームにつながっていると言えます。

先行者利得とはいえ、彼ら自身が積み上げてきたこと、味わってきた事だけに、その解決は難しく、しかし誰よりも感じていると思います。

東海大学の荒川選手は、じん帯を痛める重症。箱根でのアクシデントが後々の選手生活まで影響をしてしまった選手は多く、脱水症状も命に関わりかねないものです。

背負うものが大きければ大きいほど、選手には自分の判断ではどうにもできないものが増えてしまうのです。だからこそ、指導者は強い意志をもって制止することも求められているし、棄権した選手・チームを温かく見守ってあげることが、我々ファンも必要なのだと、強く感じた駅伝でした。

実は、Vol.1を書き上げた後から、いずれは駅伝についてもう一度書きたいと考えていました。また、私が感じたことを一層掘り下げられた一冊の本にも出会いました。

次回も駅伝について、そして長距離陸上競技について考えていきたいと思います。

ほーねっと

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