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<ほーねっとのコラム− vol 9>

『誰が為に国体は廻る』

ここ数回のコラムではずっと「大会」というものについて考えてきました。本当は前回コラムでさくっと書ければよかったのですが、ちょっと引きづってしまいましたね。もう少しお付き合いください。

ついでに、このサイトの代表管理人である、大将からコンテンツのクロスオーバーを仕掛けられました(爆)ということで、ちょっとばかし脱線すると思います。

先日東京で開催された「第1回東京マラソン」。従来はトップアスリートが出場する国際格式の大会であった東京国際マラソンと一般ランナーや車いすランナーが出場した「東京シティロードレース」を合体させ、日本でも最大級の総合マラソン大会としてスタートを切ったものです。

3万人の市民ランナーが新宿、浅草、銀座といった日本有数の繁華街を走って行く姿は壮観なものがありました。首都圏はもちろん、全国から多くのランナー、そしてボランティアが東京に集結し、宿泊をしただけでも相当な経済効果があったといえます。石原都知事はこの大会をボストンやホノルルのような大きな大会に育て、世界中のランナーが東京に集結する姿をイメージしているようです。

ところで、東京マラソンが「参加する」大会であるのに対してオリンピックやFIFAワールドカップ、それに国民体育大会は「見る」(「見せる」)大会ということが言えると思います。

全国47都道府県の精鋭が集う本大会の開会式は、堂々たる入場行進や地域を表現する創作ダンスや演奏など華やかなレセプションが行われ、多くの観客が集まります。約50年に1度の大会、やってくる選手・役員、家族や報道陣などを、最大限にもてなすことで、試合とともに地域の思い出を持ち帰ってもらおうと、地域総出の取り組みが開催4〜5年前からはじまります。

国民体育大会は国、日本体育協会、そして地元自治体が共催する大会です。つまりは税金で開催されるイベントです。選手団にとってよい思い出、というのはホスピタリティはもちろんのこと、設備がよいこと、それにより好結果を出せること、ということに結実すると思います。

選手団の構成では、実は選手以上に役員、それも自治体の職員が含まれます。彼らは大会の運営、設備について隈なく視察し、自分たちの開催時の参考としているのです。それは主催自治体の職員とて同じこと。必然的に国体はその主催者も見えない競争を行っているのです。

さらに、国体の実行委員会には膨大な顧問が名を連ねます。競技団体の役員はもちろん、体育・スポーツ・教育、それに厚生労働関係の国会議員、そして過去の開催地の歴代知事・市長まで・・・伝統的な縦社会である役所としては、先輩の存在を無視できません。

これは本大会だけではなく冬季大会でも同じで、通常は3年ほどの準備期間でじっくりと開催するのが習慣でありました。設備の補修や改築といった設備インフラはもちろんのこと、自県選手団の強化も大事な仕事といえます。

「見る」大会とはいえ、国体に関して言えば観戦するのもよほど競技が好きなファンを除いて地元の住民が大半です。テレビや新聞などを賑わせるトップアスリートは大抵国体には出場していないからです。

日本で最大の競技大会ではありますが、残念ながら「最高格式」の大会ではないというのが国体のポジション。現役のプロ選手は出場できませんし、実はレギュレーションも国際大会とは一部異なる場合が少なくありません。

例えばスキーのジャンプ競技。前回コラムでも触れましたが、国際格式のジャンプ台は長野・白馬と札幌の大倉山、宮の森しかありません。国内の大きなスキー場には、実はジャンプ台はあるのですが、その多くはアプローチやランディングゾーンが国際格式よりも短いのです。故に国体でのジャンプ競技は「スペシャルジャンプ」という「独自のルール」として開催されるのです。あるいはスピードスケートの滑走も、国際格式とは少しコース取りの面で異なるルールが適用されます。

基本的な動作は何一つ変わりませんが、国際ルールではないので記録自体では単純な比較にはなりません。ただし、各競技の強化選手に指定されるためには、国内競技での実績を積み重ねる必要がありますし、国体に出場し、好成績を収めることも条件となります。

ところがジャンプ競技はヨーロッパでツアー形式で開催される国際大会のシーズンでもありますから、トップアスリートは「日本代表」としてこれらの大会に遠征していたりするのです。

そんな状況で普段競技会に来た事がない観客をどう集めるか?またその観客が盛り上がるためにはどうしたらよいか・・・それは『地元選手が活躍する』ようになればいいわけです。

トーナメント形式で開催される国体の場合、開催地の成績が上位に来る事は半ば慣例となっています。これはトーナメントを地元優位で編成する事になっているのですが、決してそれだけで本当に実力のあるチームにはかないません。そこで、例えば実業団で活躍していたベテランを地域に招き主力選手として活躍してもらうなどの「補強」が行われているのが現実なのです。当初は地元出身の選手が現役引退に伴いUターンしてくるという程度でしたが、現在は出身さえこだわらず、本人が同意して地域にくればOK。逆に東京のように全国から優れた人材が集まる地域で代表になれなかった大学生を迎えるような事もあたりまえになってきました。こうした「努力」をして、ようやっと開催を迎えてきたのです。

ところが、冬季大会の場合は競技数の割にインフラが必要な競技ばかり。スキー競技の場合、アルペンコースにノルディックのジャンプとクロスカントリーのコースが必要ですし、スケートに至っては400mのスピードリンクとフィギュア・ショートトラック用、そして時間がかかるアイスホッケーは成年・少年の開催のため最低3リンクは確保する必要があります。

いくら独自レギュレーションの取れる国体だからとはいえ、スキーのコースは何でもよいわけではありませんから斜度や距離、そして安全面の確保ができるコースに限られます。スケート場も近年の景気低迷を受けて閉鎖されるリンクが増えています。また、インフラだけそろっていても競技会は成立できず、試合を取り仕切る競技役員も必要です。特に競技役員は、ある程度競技に関わっていなければ迅速な対応ができませんので、その確保も大変なのです。そんな状況ですから冬季大会を開催できる地域はもともと少なかった上、どの自治体も消極的になっている状況です。

そこでスケート競技会の分割開催という方法を取った年があります。2005年の国体で、スピードスケート、ショートトラック、フィギュアを山梨、アイスホッケーを東京で開催されました。

しかし、分散開催で開催県の負担を減らすにしても、アイスホッケーは前述の通り3リンク必要ですし(東京は当時7リンクあり対応が可能でしたが、大会を実施可能なホッケーリンクを3箇所以上開設している未開催県は大阪府くらい)フィギュア、ショートトラックとスピードスケートは日本スケート連盟が主管のため、同一開催地での運用が望ましいことなどを勘案すると、新たな開催地を増やすことは難しいようです。

今年のスケート・アイスホッケー競技会場となった群馬県での開催が決まったのは1年前、その時群馬県ではスキー競技会の開幕直前という慌しい状況での開催内諾でした。わずか1年での国体準備は前代未聞でありましたが、これまでの開催ノウハウを活かし乗り切ることができたようですしスピードスケートでは地元勢が活躍し、盛り上がったようです。

一方、スキー競技会は本大会開催地である秋田で開催し、こちらも無事に閉幕したのですが、今もまだ来年のスキー大会の開催地が決定していません。

スケートは長野での開催が決定していたのでが、前回コラムでも触れたように長野市内にはリンクが2箇所しか残っておらず、あとは数十キロ離れた岡谷か軽井沢、ということになります。当初はアイスホッケー競技会の開催に難色を示していた長野県ですが、時期をずらすことで開催する方向で検討をしているようです。

都道府県、市町村以外の主催者である日本体育協会と、スキー競技の主管団体である全日本スキー連盟では、長野県内でのスキー競技会の開催も持ちかけているようですが、村井県知事は難色を示しているようです。

そもそも、都道府県や市町村は前年度秋に予算編成され、年度末の議会で承認されるというサイクルで運営されますが、この時期では予算措置が間に合いません。さらに開催地が増えれば通信費や警備費などの費用も拡大します。そこで全日本スキー連盟では大会規模を大幅に縮小することを提案しているということです。

この規模を縮小、というのが先に述べたような、自治体間の競争という側面で「不名誉」と長野県は考えているようです。

国体には天皇杯、皇后杯という都道府県チーム別に競う賜杯があり、開会式には皇族がたのご臨席という通例があります。その警備にかかる費用や歓待費用は開催自治体が負担し、知事や市町村長がご案内することになっています。こうした通例を廃し、スリム化することを競技団体側は提案したわけですが、やはり首長ともなると我が街に皇族がたに見てもらう、という気持ちが強くなるようです。選手強化も地元開催への配慮はもちろん、この都道府県横並びの中でいかに上位の成績を確保し、賜杯という栄誉をうけるか、というところも大きいのです。

このような状況下で、冬季大会の中止・延期を検討するべきではないかという声が高まりつつあります。税金を使って特定の選手だけを強化するということも大きな批判を浴びています。特に冬季競技の場合、その環境の都合もあり都道府県で選手層の差が非常に大きくなっています。

そもそも、競技者も少ないし、おまけに真の「地元選手」が活躍しているのは北海道くらい。東京や埼玉は全国から集まる大学生が主力だし、最近は高校生の「国内競技留学」はあたりまえ。逆に地元でがんばっている選手が出場できなくなるような状況さえ生まれています。そんな「地元代表」を税金で強化し、税金で遠征させ、あるいは税金で大会を運営する。。。

そんな批判もありつつ、しかし競技関係者は何とか大会を継続させようと必死です。前述の通り、強化選手指定の登竜門として国体、特に少年の部が組み込まれている以上、その場に優秀な地元選手を送り込むかは、都道府県ごとの競技連盟にとっては大命題となるわけですし、国体を一つの目標としている選手達の思いを絶やさぬようにしたいという気持ちもあります。そしてもう一つ・・・国体が無くなったら、自分の競技が国体から外れたら、競技の地元での強化予算が大幅に減ることになるという死活問題も。

前回コラムでも触れましたが、ボブスレーやルージュなどはオリンピックの公式種目ですが、国体の競技にはなっていません。これは場所の問題、指導者の不足をはじめ、様々な事情もありますから仕方ありませんが、同じくオリンピック競技となっているカーリングや女子アイスホッケーも、国体では開催されていないのです。

各競技団体は、競技者からの登録費とともに、自治体の教育・スポーツ関連予算からの助成を受けて競技者の強化育成を行っています。その強化育成された選手の中から優秀な選手を選抜し、日本代表として世界へ送り出す。一見システム化された方法のように思われますが、そのスキームが成立する前提として「国体チーム」という存在を経る必要があります。しかし、国体で開催されない競技の「国体チーム」はあり得ません。

これら「国体非開催競技」の場合、学校や実業団という形でチームを編成できれば良い方で、クラブチームとして自力でがんばっているという環境の選手が大半です。昨年のコラムでも書きましたがカーリングの「チーム青森」などはその典型ですね。スケートリンクがある県の中でも、いくつかの地域ではカーリング協会がなく、誰もカーリングを見たことがない、などという悲しいケースさえあるのです。

こうした環境も影響し、冬季競技のできる環境にある地域ですら、子供にこれらの冬季競技をさせない(させたくない)という保護者が増えています。本場でありながら若く、新しい力を育てることができなくなりつつあるという、スポーツ界の現実。

パラリンピックはオリンピックとセット開催だから心配ない、と前回コラム冒頭で述べましたが、実際はアテネ大会の際に財政難を理由に実行委員会が大会キャンセルを匂わせた事がありました。国内でも秋の本大会とセットという形で全国障害者スポーツ大会が開催されていますが、冬季国体の場合、現状ではまだセット開催は実現できず、ジャパンパラリンピックという形で代替しています。ジャパラは基本的に競技団体と日障スポ/JPCの主催ですので、自治体は開催には関与していません。この点もまた冬季パラリンピック競技が拡大できないでいる理由の一つといえます。

国体は国民、そして県民がスポーツを通じて(競技するでも、観戦するでも)豊かな生活を送れるためにある大会です。今の国体は限られたエリートに地元の期待を背負わせ、送り出すことで精一杯。本来であれば住民が競技や選手と振れ合う機会を増やし、積極的に参画できることが望ましいのです。現実は格式や横並び主義の結果、誰のための、何のための大会なのか、ポジショニングを見失っているのではないでしょうか。

もちろん、地元で競技が盛り上がるためには、シンボルとなるチームや選手が必要ですが、その一部だけではなく、彼らを頂点とする広く、大きな競技環境を育てていくことが望まれると思います。そうなれば、無理やり行政主導で引っ張らずとも、自然にレベル(競技も、楽しみ方も)が上がり、盛り上がっていくことができると思います。そして、その輪の中には障害者も健常者も分け隔てなく入っていけたら、最高の環境になると私は思います。

そうした意味で、東京マラソンは「参加型の大会」としては日本最大級のものになったということで、興味深く見ていました。ここまで巨大な大会を運営するノウハウを持つ組織が日本にはないため、例えばトイレの問題や今回のような雨天時のランナーの体調管理支援、またボランティアのオペレーションに至るまで苦心の連続だったと思います。そうしたノウハウをこれから広げるとともに、本当に市民が誰でも参加できるような工夫をする努力を続けて欲しいと思います。同時に、障害者と健常者が一緒に競技を楽しめるようなオペレーションを考えるばかりではなく、一緒に楽しむことがお互い楽しくなれるような、雰囲気や環境づくりも期待したいところです。

実は大会を楽しむということについては、日本人は得意なのです。マラソンや駅伝、それに高校野球やサッカーの試合まで、日常の話題としてこれほど盛り上がることができる国は、そうはありません。

しかし、スポットライトを浴びる選手達の影に、ともに戦ったもっともっと多くの選手達やスタッフがいる、彼らがいるからこそ、トップアスリートに日があたるのだということまでは、まだまだ学習が足らないかもしれません。まさに国際大会とはそういう結果であり、その祭りにいろいろな形で参画し、楽しんでいくこと、楽しめることができるようになるために、これからの日本は大会というものについて考えていかねばならない時期だと思っています。だからこそ、冬季国体の問題はこれからも注視していきたいと思っています。

久々のコラムでしたが、今回は勢いをつけて一挙に書いてみました。ところどころまとまっていなかったりするところもありますがいかがだったでしょうか。

このコラムで「大会」シリーズはいったん終了としますが、今後も選手以外の視点からの楽しみ方を見聞きしたり、提案していきたいと思います。

それではまた。

ほーねっと

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