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<ほーねっとのコラム− vol 5>

VOL.5 サッカー

あいもかわらず試合以外のところで騒がしいプロ野球ですが、今期はB.バレンタイン率いる千葉ロッテマリーンズが日本シリーズを優勝。JEFユナイテッド千葉がサッカーナビスコ杯優勝で初タイトル獲得と、千葉県のチームが躍進しました。ロッテは31年ぶりの優勝ですしJEFはJリーグ発足後無冠だったということで、チームを支えてきた地元ファンの熱狂がこちらにも伝わってきます。

今回のコラムも引き続きプロ野球のオーナーについて論じるつもりでいたのですが、オフに入ってまたしても先の不透明な論議が起こっています。そこで今回は珍しくサッカーチームの話題について考えてみます。といっても今回は先ほどの前振りのJEFなど、Jリーグ発足当初からのチームのことではありません。

Jリーグが発足した当初、引退し政界でスポーツ大臣を務めていたジーコを迎えた住友金属鹿島のような、下部リーグからのステップアップ組や、数少ない新設チームだった清水エスパルスのような例もありましたが、プロチームとしてスタートしたクラブはほとんどが実業団チームとしてサッカー日本リーグで活動してきたチームを母体としていました。読売クラブ、日産自動車、三菱自工浦和、そして古河電工などです。

Jリーグを率いてきた川淵コミッショナー(現・JFAキャプテン)の信念で、Jリーグ加盟クラブは「地域密接」を旗印として「親会社からの独立」を求められました。プロ野球ですら親会社の全面的なバックアップで経営を維持していた(現在もほぼそうですが)90年代初頭、まだサッカーは野球ほど人気は高くなかったこともあり、クラブ関係者、そして親会社の多くも不安と疑問をもちながらのスタート。Jリーグには進出せずに実業団チームとしてJFLに残ることを選択したチーム、Jリーグに参加したものの親会社の名前を外すことに最後まで抵抗したチームもありました。

その後のJリーグといえば、わずか数年で着実に加入チームを増やし、下部リーグのJ2も誕生。かつての名門と呼ばれた実業団も、次々と参加していきます。そんな中で、有力母体を持たない新チームの結成が目立ってきます。

きっかけは、2002年のW杯日韓共同開催でした。今やオリンピックを凌ぐ世界でもっとも注目されるスポーツイベントを誘致しようという都市が次々に名乗りをあげたのです。その典型となったのがアルビレックス新潟といえます。

W杯の誘致に成功した新潟市は、新たな大規模競技場としてビックスワンを開設します。W杯誘致には、開催に相応しい大規模な競技場の整備が必須であることから、W杯誘致をきっかけに全国に新しい巨大競技場が登場しました。埼玉の埼玉スタジアム2002はいうまでもなく、決勝戦を開催した横浜国際競技場(Jリーグでは「NISSANスタジアム・・・お馴染みのネーミングライツです)、千葉の柏の葉、北海道の札幌ドームなど、国体等のイベントを機会に整備された施設も、当初からW杯を視野に入れた設計がなされていました。

世界中に中継されるTV中継や試合を観戦する世界中のサッカーファンの観光需要、という効果は勿論、地域へ新たなハコ物とその周辺の整備というビッグビジネスをもたらしたのでした。

しかし、ハードウェアだけが選定の条件ではありません。試合を受け入れる市民の体制や雰囲気づくりというものも重要な要素となっていたのです。横浜にはマリノスやフリューゲルスが、埼玉には浦和レッズという、実業団時代から高い人気と、活発なサポーター活動を展開するクラブがあるのに対し、新潟には地元のチームがありませんでした。大会までの準備もありますが、大会後の施設の有効利用も重要な要素。ことに5万人規模の観客席とナイター設備を完備した天然芝のピッチ。そのハードを生かすためにも、そして何よりW杯を誘致しようという地域のムーブメントを起こすために、地域に根ざす、新潟のJリーグチームが必要だったのです。

地域によっては既存のクラブをサブフランチャイズとして誘致した例もありますが、新潟はまったく新しいクラブを結成。それがアルビレックスでした。

地域発のチームといえど、メンバーは新人と各チームからの移籍組。成績もなかなか上昇できず、サッカー文化を地域に0から構築しようとしたアルビレックスの試みは、まさに茨の道でした。巨大な観客席はガラガラで、最初は市民の関心も薄かったと言います。

サポーターは試合以外でも街へ積極的に出てアルビレックスをアピールし、クラブは市内に無料観戦券をばら撒きます。スポンサーの関係者や社員も招待します。

売上にはつながらない無料の招待客ばかりでは収支は改善されません。しかし、地道なアピールの結果、次第に有料の入場券が売れるようになり、J1へ昇格するころにはスタンドがチームカラーであるオレンジ一色となるまでになったのです。

さらに、今秋はじまったプロバスケットボールリーグJB’sにも参戦を開始、単なるサッカーチームではなく地域の総合スポーツクラブ組織という、Jリーグがの目指すクラブの姿を今、もっとも具現化している事例と賞賛されるに至っているのです。

中田(秀)ら優秀な選手を輩出した名門韮崎高校を県内に有する山梨県からJリーグを目指したのが、JFLに出場していた甲府クラブを母体としたヴァンフォーレ甲府。こちらもチーム設立当初からスポンサー不足、そしてサポーター不足に苦労をしたチームでした。甲府クラブは地元社会人のクラブチームであったため、特定企業の支援をうけていなかったのです。ヴァンフォーレはスポンサー契約も地元企業が参画しやすいよう小口化するなどの努力で、県内にJリーグの提唱する文化をひとつづつ築いていったのでした。そしてついに今シーズン、Jリーグ創設からのJ1チーム、熱狂的なサポーターが多いことで知られる柏レイソルを入れ替え戦で破り、来期は念願のJ1に昇格が決定しました。

しかし、同じような努力をしたのにもかかわらず、数年で解散の憂き目にあったチームもありました。その代表格が福島県のFCふくしまと言えます。

福島県はW杯の試合誘致は行いませんでしたが、かわりに大きな財産を得ていました。東京電力が中心となって設置されたサッカー研修施設、Jヴィレッジです。日本代表の強化拠点としてはもちろんのこと、W杯では有力参加国のキャンプ地として世界中の記者が県内に集まりました。

サッカー研修施設としては日本最大級の規模となったJヴィレッジ。この資産を有効に生かしていこうという趣旨で設立されたFCふくしまは、県教員チームを母体として結成されました。しかし、福島はもともと有力なサッカー校もなく、また広範な県土を背景にした地域間の意識の違いにも阻まれ、わずか数年で資金がショート。県内企業も次々倒れていくなかで有力なスポンサーを獲得することもできず、解散を強いられる結果となりました。

今シーズンからJ2に昇格を果たした群馬県のザスパ草津。このチームは県内有力企業グループの他、ユニクロなどのナショナルブランドをスポンサーとして獲得する一方、わずか3年でJ2昇格を決めるなど順当な経営をしていると思われていました。しかしながらJ2に昇格した今シーズンの成績は非常に厳しく、新たにフランチャイズとした前橋のスタジアムの観客動員に苦労している状況です。加えて前経営陣による不透明な経理処理が発覚し、Jリーグから緊急融資を受ける事態となっています。

群馬県内には前橋育英、前橋商業といったサッカー有力校があり、県外からも多数の生徒が入学してきている状況です。また、県南部の工業地帯にはサッカーの盛んなブラジルなどから来た日系人のコミュニティも多数あり、スポーツ・文化交流が盛んな地域と言えます。

しかしながら群馬は夏季オリンピックでの活躍の記憶も新しい、女子ソフトボールの盛んな地域としても知られます。宇津木妙子総監督率いたルネサス&日立、さらに太陽誘電の本拠地でもあり、どちらかといえば野球・ソフトボールのほうが盛んと言えます。

ザスパは、草津温泉の旅館従業員としてJリーガーを目指すサッカー選手を雇用して、地域全体でチームをもりたてていこうという運営面での特色がありました。Jリーガーを目指す若い選手にとって、競技活動と生活を両立させることは難しいなかで、競技を優先することを保証した街ぐるみの支援は大きな注目を集めており、現在もサテライトチームの選手はこの制度を利用して温泉で働きながらサッカーのできる環境にあります。

こうしたザスパ独特の取り組みは地域とクラブチームの連携事例として報道でも大きく取り上げられ、日本を代表する温泉地である草津の名をアピールすることに成功し、チームもJ2昇格と順風と思われた矢先の騒動です。

そもそも、草津町ではJリーグ規格のサッカー場がありませんし、交通のアクセスにやや難のある状況では地元以外の県内からのサポーターの応援は難しいところがあります。そこで、草津というよりも群馬県のJリーグチームへの脱皮を図るべく実行に移されたのが県庁所在地である前橋市のサブフランチャイズ化でした。

新たにホームとして加わった県営競技場とて、キャパシティではJリーグ規格には及ばず、ナイター設備もようやく整備された状況ですが、それすら満席にすることは難しく、前橋市内の住民宅に招待券を配るというような努力を重ねているところです。加えて、前橋市と並ぶ県内の大都市である高崎市にも、JFLに加盟したサッカーチーム「FCホリコシ」が設立されたこともあって、群馬県内全体でザスパを応援しようという雰囲気が作りにくくなっていたのも事実でした。

ザスパやFCふくしまのような財政状況、あるいは運営状況はアルビレックスもヴァンフォーレもたどってきた道です。いずれも母体となる実業団のチームを持たず、地元のサッカー連盟やサッカーファンたちが支えてきたのです。20年前では到底考えられなかった、サッカーを通じた地域社会への参画という理念が広まってきた証と言えるかもしれません。そして、全国にサッカーを広め、地域一体となってサッカーを楽しむ環境やクラブを作っていこうという、日本サッカー連盟の熱意の現れではないでしょうか。

反面、全国には「Jリーグチームを持たない地域は一流ではない」という雰囲気がないわけでもありません。現在、JFAの下部組織として都道府県サッカー連盟がすべての県にありますし、サッカー愛好人口はまだまだ増加中です。しかし、実際のところは野球、バスケットボールの愛好者のほうがまだサッカーより多いという説もあります。さらに、どんなに地域主体となったチーム運営といえども、30名以上の移動と、最大6万5,000名もの観客を安全に楽しませるということは非常に費用のかかる事業です。さらに既存のJリーグチームの成功から、安易に柳の下のどじょうを狙うような戦略の欠如、また競技場など公共投資への期待、そして「地域のため」という大義名分のもと自治体からの助成を前提とした安直な発想が、そのような状況を助長しているといえなくもありません。

サッカー人口が多くても地域にとってチーム開設のメリットが少なければ実現は難しいですし、公的資金を主体的に考えることもあまり健全な経営とはいえません。確かに今期のJ1の観客動員数は新記録を達成しましたが、J2については1試合平均7,000名程度というレベル。まだまだ興行として自立することは難しいようです。

事実、JFAやJリーグは経済的な自立、特に公的資金からの依存脱却と黒字経営を求めています。クラブチームとして独立を保ちながら経営を安定させるためにも、選手達やファンの情熱を裏切らないためにも、経営面についてリーグも、出資者や自治体、そしてサポーターも含めたチェックや助言というものが求められているといえるでしょう。

それは、サッカーという1プロ競技だけの問題ではなく、プロ野球も、そして興行目的ではないアマチュア競技にも当てはまることだと私は感じます。皆様はいかがお考えでしょうか。

2005年もスポーツ界の目まぐるしい動きに翻弄され、またそれを言い訳に原稿の進みが極めて遅くなってしまいました。2006年はワールドカップサッカードイツ大会、そしてトリノでの五輪とパラリンピックが控えています。こうした大会、そして集うアスリート達を応援しながら彼らに触発され、もう少しペースよくコラムをあげていきたいなと思う今日この頃です。

ほーねっと

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